最高の18年間〜廣瀬敏選手引退〜

Team NIPPO廣瀬敏選手がご自身のブログで引退を発表されました。

(2008シーズンの加東ロードのレース終了後に表彰選手の控え場所にいるところです。)

 廣瀬選手の記憶といえば、2008年のJサイクルツアー開幕戦の東日本実業団(群馬CSC)での優勝シーンが浮かびます。
 国内レースをがっつり観戦するのはこのレースが初めてでした。その大会での優勝した選手なのですが、レース観戦初心者の私にとっては???顔も名前も覚えられない状態で、レースをインターネット中継しようと試みていた仲間のお手伝いをするためにコントロールルームに入ったところ、賞金100万円を1枚1枚数えていたシーンがさらに印象に残っています(笑)

 時は流れ2008年のいわきクリテでは決勝が終わったあとに当時所属していた愛三工業レーシングチームのブースから出てきて他のチームの選手と話し終わったあとに少しお話しを聞かせていただくチャンスありました。
 前日の予選で愛三工業レーシングチームの選手が周回数のカウントを間違え、最終周回のみ走るコースに突っ込んでしまい、翌日の敗者復活レース(通称:おはようクリテ)にまわることになってしまいました。コースをふさぐバーに突っ込んだ愛三の選手とそれに巻き込まれた数名の選手を現場で見ていたので、どなたが突っ込んだのですかと聞いたところ、「ボクが突っ込んじゃいました(笑)」と返された時には、穴があったら入りたいくらい恥ずかしかったです。それでもおおらかに対応してくれた廣瀬選手のふところの大きさに感謝したのでした。

 2009シーズンで印象に残っているのは小川ロードの時。シマノファンの黄色い声が車で通りかかった廣瀬佳正選手に「ひろせさ〜ん!」とかかった時に、廣瀬佳正選手の車のすぐ脇(NIPPOカーが止まっていた)で着替えをしていた廣瀬敏選手がせいいっぱいの手を振って黄色い声援に応えていたことでしょうか・・・
 もちろん、そのことは廣瀬敏選手ご本人には言えないです。。。

(小川ロードスタート直前)

 ツール・ド・北海道では2009シーズン初レースとなった井上和郎選手を気遣うなど単なる選手ではなく、コーチ的な存在にも見える場面がありました。おにいさん的というか、パパという感じなのか・・・

ツール・ド・北海道第6ステージのスタート前)

このシーズンで廣瀬選手の魅力のかけらを知ることができたこともあり、ツール・ド・おきなわ後のいきなりの引退発表に正直びっくりしましたが、ラストイヤーの走りを見ることができたことを感謝しようと思います。

ご自身のブログで「最高の18年間」というタイトルで引退を発表されました。最高と思って引退できるのは選手として幸せなことだと思います。月並みですが、廣瀬さんの今後の活躍をどこかで触れることができればうれしいですね。